たっつんとしょうた君がでたらめな歌を歌っている。
私に抱かれたまま、しょうた君がたっつんと手を繋ごうとするもんだから、私とたっつんの距離が半端なく近い。

GJ、しょうた君!!

そんな思考回路を包み隠しながら、私は目を細め、その微笑ましい光景を見守っていた。
「わあ、本物の家族みたい☆」なんてこと、思ってますよ当然。


「そーいや、しょうた。お前、ここに何しに来たんだ? 買いモンか?」

「うん」


しょうた君がたっつんの手をブンブンと振りながら頷く。


「チョコのおへんじ、買いにきた」


チョコの返事?
聞き慣れない言い回しに、たっつんと目を合わせ首を傾げる。


「……もしかして、お返し?」

「あ、それだ」


照れ笑いを浮かべて、しょうた君はポケットからメモを取り出した。
差し出されたそれを、たっつんと二人して覗きこむ。
恐らく、お母さんが書いたのだろう。
綺麗な字で、「あやはちゃん」、「ふうかちゃん」、「くるみちゃん」などなど、沢山の女の子の名前が書いてあった。


「お前、こんなにいっぱいの女の子からチョコ貰ったのか!?」

「モッテモテだね!?」


キョトンとしているしょうた君を、まじまじと見つめる。
た、確かに、まつ毛も長いし目はクリクリだし、髪の毛サラサラの美少年……!
その年で私よりよっぽど充実したバレンタイン……ヴァレェンタインをお送りになったのね……!?


「すっげーなー! やるなー、お前!」

「いっぱい食べたんだよ。おやつ、まいにちチョコレートだった」


そんなしょうた君を、今度はたっつんがまじまじと見つめている。
たっつんはしょうた君の顎を掴むと、右へ左へ動かし、ボソッと呟いた。


「……やっぱこんだけ若いと、チョコ食いすぎてもニキビとか出来ねーんだな」

「……?」


意味が分からないしょうた君と、吹き出しそうになる私。
羨ましそうにしょうた君のスベスベお肌を見つめるその顔は、少しだけれどニキビで荒れてしまっていた。
笑いながら、隣を歩くたっつんを見上げる。


「いっぱい食べたんですか?」

「……こいつ程じゃないっすよ?」


はにかみながらそう答えるたっつん。
ハッ……! 今私、一瞬だけど、普通に会話出来てなかった!?
大袈裟だけど、軽く感動してしまう。


「あ、もしかしてあそこじゃないっすか? 迷子センター」


そう言われ、たっつんが指差す方向を見やる。
天井にぶら下がった看板には「インフォメーション」と案内が出ていた。
一瞬「もう着いちゃった」と考えてしまい、慌てて首を振る。

迷子の子供を抱えたまま、なに馬鹿なこと考えてるんだろう、私……!
でもやっぱり少し大分残念……いやいやこれ以上一緒にいたら、私の心臓がもたなくなるかもしれないし……!
ああでもやっぱり……!

悶々と頭の中で押し問答を繰り広げる。
立ち止まって考えたいくらいだったけど、そんな訳にもいいかなくて、あっという間に目当ての場所まで着いてしまった。
……このまましょうた君を抱えて逃げたら、追いかけてきてくれるかな。

出来もしない事を考え、遠い目をしてる私に、たっつんがドアを開けてくれる。
私は観念して、そのドアをくぐった。
途端に耳に飛び込んでくる子供達の声。
そのほとんどが泣いている声で、私は無意識の内に、しょうた君を抱えている腕に力を込めた。


「あの、すみません。この子、迷子になっちゃったみたいなんですけど」


たっつんが係りのお姉さんに声を掛ける。
子供達を必死にあやしていたお姉さんは、慌てて立ち上がると私達の方に駆け寄ってきた。
たっつんと私に頭を下げ、しょうた君へと視線を合わせる。


「こんにちは! 怖かったね〜? もう大丈夫だからね! 今日は誰と一緒に来たのかな? ママ?」


コクリと頷くしょうた君。
ギュウッと、私の服を掴んでいるしょうた君の手に力が入る。
「大丈夫だよ」と、たっつんがしょうた君の頭をポンポンと叩いた。


「今からママ探してくるから……お名前言えるかな?」

「……えのき、しょうた」

「しょうた君、じゃあママが来るまで、ここでお姉さんと一緒に待ってようか!」


しょうた君が無言で部屋の中を見回し、そして、私とたっつんを振り返る。
相変わらず泣き声が溢れ返るこの部屋は、立っているだけで不安な気持ちでいっぱいになった。
なかなか私から離れる様子のないしょうた君に、お姉さんが困った顔で笑う。


「あらら〜、しょうた君、ダメだよ〜? お兄ちゃんとお姉ちゃん、デートの続きがしたいって」

「で……っ」


あまりにもサラリと言うもんだから、思わず聞き流しそうになってしまった。
デートだなんて! そんな! 滅相もない!!


「あ、別に大丈夫なんで……もしよかったら、こいつのお母さんが来るまで、一緒に待っててもいいですか?」


否定しないの!?


「それはもちろん構いませんけど……よろしいんですか?」

「ひぇっ!?」


突然話を振られて素っ頓狂な声が出る。
動揺しながらも、私は懸命に首を縦に振った。


「は、はい、お構いなく!」

「は?」


見当違いの返答をする私に、お姉さんが首を捻る。
私は真っ赤になりながら、蚊の鳴くような声で「大丈夫です」と呟いた。

よくよく考えてみれば、めくじら立てて否定するような事でもない。それはよく分かってる。お姉さんも何気なく言った事だろうし。
けどもう、たったこれだけの事で舞い上がってしまう自分が心底キモイ!!

部屋に上がる為に、一旦しょうた君を下ろし、三人揃って靴を脱ぐ。
脱ぎ終わると、しょうた君はまるで当たり前かのように、腕を広げて抱きついてきた。
その様子に、自然と私の頬が緩む。
しょうた君を再び抱き上げて畳に座ると、たっつんが私の顔を覗き込んできた。

たっつんが私の顔を!?


「あの、スミマセンでした」

「な、なにがでしょうかっ?」

「俺、勝手に一緒に残る、なんて言っちゃって……もちろん、一人でって意味だったんですけど……」


申し訳なさそうにそう言い、たっつんを頬をかいた。


「あんな風に言っちゃった所為で、帰りにくかったですよね。予定とか、大丈夫でした?」

「あ……」


たっつんはどうやら、自分の所為で私が帰るタイミングを逃したと思っているらしい。
そりゃ目の前の女が、自分と別れたくないが為に、しょうた君拉致計画まで妄想していたとは知るはずもないもんね……。
「これ幸い」とたっつんの提案に乗っかっちゃった、こちらの方が逆に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
もちろん、しょうた君の事を、すっかり可愛く思っちゃっている自分もいる。
けど、100%しょうた君の為に残ったって言ったら、それは嘘だ。


「ホント……駄目人間でスミマセン……」

「何か言いましたー?」


思わず口をついて出たその言葉は、子供達の泣き声にかき消されて聞こえなかったらしい。
たっつんは私達の方を振り返りながら、ウロウロと部屋の中を歩き回っていた。
しょうた君と二人して「何してるんだろうね?」と首を傾げる。
すると、


「一番、鈴木達央!!」

「!?」


突如、大声が響き渡った。
部屋にいる子供達が、何事かとギョッと目を見張る。
全員の注目を集めた事を確認し、たっつんは二カッと笑った。


「絵本、読みます」


そう宣言し、たっつんがおもちゃ箱の中から絵本を引っ張り出す。
そして、自分の周りで硬直している子供達を手招きし、私の隣に座った。
子供達は警戒しているのか、それともどうすればいいのか分からないのか、その場から動こうとしない。
たっつんは気にする様子もなく、畳にあぐらをかくと、その上に絵本を広げた。


(どう……すればいいのかな? 私も、あの子達に声とか掛けた方がいいのかな)


自慢じゃないが、私は「おかあさんといっしょ」に出てくるようなお姉さんには、百回生まれ変わったってなれないタイプだ。
たっつんは慣れてるみたいだし、下手に口出さない方がいいよね、きっと。
その方が無難――

そんな事を考えていると、一人の女の子と目が合った。
出会ったばかりのしょうた君のように、いっぱいの涙を溜めた瞳。
ジッと見つめてくるその子から、目が離せない。


「……」


私は、ゴグリと喉を鳴らし、口を開いた。


「に、二番、……」


一斉に、今度はこちらの方へと視線が集まる。


「おて、お手伝い、します」


自分の頬が、まるで火が点いたかのように熱くなり、たっつんに話し掛けた時より、何倍も緊張した。


「お、おいで? こっち来て、一緒に聞こう?」


そう言って、女の子の方に手を伸ばしてみる。
しばらくそうしていたけれど、女の子は困った顔のまま、やっぱりそこから動かなかった。
差し出した右手が、所在なく膝の上へと舞い戻る。
その手を、しょうた君がギュッと握ってくれた。
何気なくしてくれた事だったんだろうけど、その手の温かさにホッとする。


「ありがと」


小さくそう言うと、隣でたっつんも口を開いた。


「俺も、ありがと」

「え?」


聞き返す私に、たっつんが向き直り、もう一度言う。


「ありがと。手伝ってくれるんでしょ?」


その声があまりにも優し過ぎて、ただそれだけの事で泣きそうになってしまった。




「そんじゃー読みますかー!」


やる気満々に腕まくりをするたっつん。
そう言えば、何を読むつもりでいるんだろう?
何とはなしに絵本を覗き込んで、そのタイトルに目を剥いた。


「い、一寸法師……」

「うん。これしかなかったんすよね」

「そ、そうですか」


ついこの間購入したばかりの「官能昔話」を思い出して、ついつい赤面してしまう。
いやいやいや、今そんなこと考えてる場合じゃないから! 消えろ煩悩!


「えっと、じゃあ、お姫様やってもらってもいいっすか? 俺、他の全部頑張りますんで」

「あ、はい。お願いします」


絵本がしっかり見えるようにと身を乗り出した私に、たっつんが耳打ちをする。


「……ちょっと本気でやりますけど、笑わないでくださいね」

「……っ」


無言で、首を何度も縦にふる。

息が……! 今耳にたっつんの息が……!
真山さん(CV杉田智和)の気持ちが、今なら痛いくらいに分かる……!
私の幸せ貯金の残高が……! この数時間で限りなくゼロに……!

唇を噛み締めて、顔がにやけそうになったり、涙目になりそうな自分を必死になって押さえた。
そんな私には気付かず、たっつんが咳払いをし、目配せをする。


「――それじゃあ『一寸法師』の〜?」

「は、はじまりはじまり〜」


二人して声を合わせ、物語の始まりを告げる。
しょうた君とお姉さんが、両手をつき出すようにして拍手をしてくれた。


「むかーしむかし、あるところに……」


たっつんが、普通に(当たり前だけど)絵本を読み始める。
子供達は遠巻きにこちらの様子をうかがっているけれど、やっぱり近寄っては来ない。
けれど、おじいさんとおばあさんが登場した途端、空気が変わった。


「神さま、親指くらいの小さい小さい子どもでも結構です」

「!?」


それまでとは打って変わった、たっつんのしゃがれた声に、子供達が目をまん丸にする。
瞬きもしないでこちらを凝視する子供達の肩を、お姉さんがそっと押すと、みんなポカンとした顔のまま、私達の傍に座った。


「おじいさん、おばあさん、私は都に行こうと思います!」

「わ……!」


一寸法師の台詞に、小さく歓声が上がる。
可愛らしい少年の声。
その声が、目の前の男の人から出ている事が信じられないのか、一人の女の子がおずおずとたっつんの顔を覗きこんだ。
たっつんは、いたずらっ子のように笑い、何食わぬ顔で読み進める。


「おばあさんは、お椀を川に浮かベ、一寸法師の乗る舟を作ってやりました。
 一寸法師は舟に乗り込むと、『では、行って参ります!』と勇ましく都を目指します。
 『気を付けるんだよ』『いってらっしゃい』という、二人の声を背にして――」


もう、泣いている子は一人もいなかった。
みんな、キラッキラに目を輝かせて、「一寸法師」に夢中になっている。
ただし、熱烈な視線を送られているのは、絵本じゃなくてたっつんだったけれど。
その光景に、思わず笑い出しそうになる。
物語りも終盤に差しかかり、とうとうお姫様の出番。
ドキドキしながら、自分の台詞を確認する。


(ええと、「背ぇ出ろ、背ぇ出ろ」ね。――ハッ!)


官能昔話の「背ぇ出ろ」って、もしかして「精出ろ」に掛けてあったんじゃ――!!


(って、今そんなこと力の限りにどうでもいいから!!)

ちゃん……?」


しょうた君に見上げられ、再びハッとする。
変な事を考えていた「所為」で、台詞のタイミングが遅れてしまった。
しどろもどろになりながら、お姫様の台詞を読みあげる。


「せ、背ぇ出ろ、背ぇ出ろ」

「『せぇでろ』ってなあに?」


近くにいた男の子に、不思議そうな顔で訊ねられ、はたと気付く。
言われてみれば、「背ぇ出ろ」って分かりにくい表現……というか、普通は「背ぇ伸びろ」なんじゃ……。
昔の言い回しに、首を傾げ、ざわつき出す子供達。

せ、折角たっつんが掴んだあの子達の心を……! ここで逃してなるものか……!

私は慌てて、打ち出の小槌を持っているつもりで、右手をたっつんへと振りかざした。


「お、おおお、『大きくなあれ!』です!」

「お、おおきく……?」


目をパチクリしている子供達に、右手を何度も振ってみせる。


「大きくなあれ、大きくなあれ!」

「……おおきくなあれ」


ポツリとしょうた君が、私の真似をして呟く。
それが合図だったかのように、周りの子達も同じように唱え始めた。


「おおきくなあれ、おおきくなあれ!」


みんなの「大きくなあれ」コールを浴び、たっつんが真面目な顔をして、絵本を膝から下ろす。
そして、むくむくと徐々に緩急をつけながら立ち上がり、最後にピョンと飛び跳ねると、周りから歓声が上がった。


「ありがとうございます、姫! そしてみんな!」


たっつんがとびきり男前の声で、爽やかな笑顔を振りまく。


「お陰で、こんなに大きくなれました! 私はもう、一寸ではありません!」

「……」

「〜〜一寸ではありません!」


たっつんが私に続きを促すけれど、途中から完璧にアドリブになっている。
というより、これはもう「絵本を朗読」じゃなくて、「朗読劇」だ。
劇なんて、私、いっつも裏方小道具係だったよ……!
情けない顔でたっつんを見上げると、明らかに「乗 っ て こ い」という目で見ている。
が、が、が、頑張れ、私!!


「お、おめでとう! よ、よかったですね! あ、ちが、よかったな! これも違う――よくやりましたね!」

「はい! これで少しは、姫に相応しい男になれたでしょうか……?」

「ひえ!? あ、え、えー、なれたんじゃなくって?」

「ぶはっ」


私のヘンテコな姫口調に耐えられなくなったのか、たっつんが吹き出してしまう。
私は真っ赤になりながらも、何とか物語の幕を閉じようと、必死になっていた。
そんな中、焦れた女の子の一人が口を開く。


「ねー、けっこんはー?」

「はい?」

「さいごに、おひめ様と王子様がけっこんして、しあわせにくらすんでしょ?」


一寸法師ってそんな話でしたっけ?
そもそも、一寸法師って王子だっけか?

たっつんと、アイコンタクトで首を傾げ合う。


「……」


……まあいいや! 乗っかっちゃえ!


「――姫!」

「なんだい!?」

「大きくなったんで、私を姫のお婿さんにしてください! 必ず……必ず幸せにします!」

「は………………はい」

「姫……!!」


そのまましばらくジッと見つめ合い、十数秒経ったところで、たっつんと一緒に、こっそりとお姉さんに合図を送る。
最初は眉を寄せて「ん?」って顔をしていたお姉さんが、ポンと手を叩くと、声高々に言った。


「――めでたし、めでたし!」


一拍置いて、パチパチとまばらに拍手が起こる。
それは、あっという間に広がり、さざ波のように部屋中を埋め尽くした。
その量に、一瞬呆気に取られる。


「あ、あれ?」


いつの間にか、迎えに来たお母さん達も観客になっていたらしい。
熱中し過ぎていて、全く気が付かなかった私達は慌てて頭を下げる。
今度はたっつんも、耳まで赤くなりながら。





子供達がこちらに手を振って、お母さんの方へと駆けていく。
手を振り返しながら見送っていると、女の子が一人戻ってきた。
絵本を読む前に、声を掛けたあの子だ。


「……? どうしたの?」


そう訊ねると、もじもじしながらスカートを握り締めて、ほっぺたを赤くする。
女の子は、「あのね」と口を開いた。


「おひめさま、かわいかったよ」


それだけ言うと、あっという間にお母さんの方へ走っていってしまった。
一瞬ポカンとしてしまったけれど、女の子の姿が見えなくなる前に、慌てて声を掛ける。


「ありがとう!」


女の子がお母さんの影に隠れながら、小さくはにかんでいた。
その姿を見送り、たっつんと顔を見合わせる。
二人して、ホワンとした笑顔を浮かべながらのほほんとしていると、後ろから遠慮がちに声を掛けられた。


「あの、すみません……」

「!!」


驚いて後ろを振り向くと、綺麗な女の人が申し訳なさそうに会釈していた。
もしかしてもしかしなくても、しょうた君の――


「ママ!」


しょうた君が私の膝から降り、嬉しそうに手を伸ばす。
しょうた君のママはその手を取り、もう一度私達の方へ頭を下げた。


「この子がお世話になったみたいで……」

ちゃんと、たっつんがいっしょにママさがしてくれた!」

「うん。ちゃんと『ありがとう』言おうね」

「ママ、さっき買ったやつちょうだい!」

「いや、だからね、お礼をね」

「はやく!」


ママに会えた事で、すっかりハイテンションになっているしょうた君。
困り顔のお母さんから買い物袋をもぎ取ると、ガサゴソと漁り出した。
そして、目当ての物を見つけたのか、小さな包みを二つ取り出して、こちらを見上げる。


「これ、あげる!」

「え?」

「おれい!」

「お礼つったってお前……それ、ホワイトデー用に買ったモンじゃねえの?」


満面の笑顔で差し出されたそれを、受け取ってもいいものかどうか迷っていると、しょうた君のお母さんが苦笑混じりに言った。


「貰ってやってください。念の為、多目に買ったものですから……こう言うと、余り物みたいで申し訳ないんですけど」

「あ、いえ、そんな! とんでもないです」

「ほら、翔太。『あげる』じゃないでしょ?」


しょうた君のお母さんが、そう言って促す。
頭を撫でられ、しょうた君がくすぐったそうに笑った。


「ありがとう、ちゃん! たっつん!」


隣を見上げると、たっつんも同じようにこちらに視線を送っていた。
二人して軽く頷いて、包みへと手を伸ばす。


「どういたしまして!」


受け取った包みは、そんな筈ないのに、少し温かかったような気がした。






********






「あー、行っちゃったなー」

「行っちゃいましたねー」


しょうた君の後姿が、角を曲がり見えなくなる。
見えなくなってしまう直前まで、しょうた君は何度も振り返り、私達に手を振ってくれた。


「お疲れ様でした」


たっつんが、目を細めてそう言う。
この様子だと、「子供が苦手」って事は、ばっちりバレちゃってるんだろうな。


「いえ……ありがとうございました」


「ん?」って顔をするたっつんに続ける。


「一緒に、探してくれて。その、最初に声掛けてくれて。私一人だけだったら、きっと、もっと、不安な思いとか、させちゃったと思うから……」

「……」

「だから、ありがとうございました」


私、ちゃんとたっつんの目を見て言えたよね?
声は少し震えたけど、ちゃんと言えたよね?
下げていた頭を戻し、恐る恐るたっつんの様子を窺う。
たっつんは――何故か口元に手をやり、含み笑いを浮かべていた。


「よーく言うよ!」

「へ?」

「あいつを一番に笑わせたのも、抱っこのご指名取ったのも、ぜーんぶそっちのくせに!」

「ええ? いや、そんな――」

「だから!」


たっつんが、少し強い口調で私の言葉を遮る。


「いいんですよ、お礼とかは。俺ら、二人で頑張ったって事で」

「……はい」


たっつんらしい物言いに、笑いながら頷いた。
ああ、やっぱりこの人いいなあ……。


「っつか、さっきから気になってたんすけど」

「え? 何ですか?」

「スカート。汚れてる」


たっつんが顎に手をやり、視線を下げる。
それにつられて、私も下を見やると、スカートが少し泥で汚れてしまっていた。


「あ、そっか。抱っこしてたから……」


しょうた君の靴の泥がついてしまったんだろう。
色々といっぱいいっぱいだったもんだから、気が付かなかった。


「大丈夫です、これぐらいならハンカチ濡らして――」


そう言いながら鞄を探り、言葉を切る。


「……? どうかしました?」

「その……ハンカチ、しょうた君に渡したままでした……」

「あらら」


すっかり忘れていた。
情けない顔でスカートを見下ろす。
さすがに、この状態で帰るのは、少しみっともないかなあ。


「――じゃあ、ちょっと待っててくださいね」


「え?」と顔を上げると、たっつんはもう既に駆け出してしまっていた。
声を掛ける間もなく、姿が見えなくなる。
私は首を傾げながら、近くにあったベンチに腰を掛け――


(……は! まさか!)


唐突に思い当たり、顔が青くなる。

まさかまさか、たっつん、自分のハンカチを濡らしに行ってくれたんじゃ……!

勢い良く顔を上げた途端、たっつんの戻ってくる姿が目に入った。
その手には、予想通りハンカチが握られている。

し、ししし、紳士だ〜!

ジェントルマンっぷりに感動していると、たっつんは息を切らせながら、ハンカチをこちらに差し出――したりはしなかった。
受け取る気満々でいた私の手を、ハンカチは華麗にスルーし、たっつんの手に握られたまま、わた、私のスカートを……!!


「う、わ、わ、ちょ、わ」


咄嗟の事に、言葉が続かない。
だって、だってだってだって!
たっつんが、私に跪いて、スカートの汚れをポンポンと……!

舌を噛みそうになりながら、やっとの事で口を開く。


「だ、大丈夫です! 大丈夫ですから!」

「え? いや、大丈夫ですよ」

「大丈夫じゃないです!」

「大丈夫じゃないなら座っててください」

「え、あれ!? ちが、大丈――あれ!?」


頭の中がこんがらがってきた。
無理に動くと、スカートが捲れてしまいそうで、私は顔を真っ赤にしながらただ耐えた。

わ、私の幸せ貯金が……!
来世分まで前借を……!


「――はい。これで大方取れたと思いますよ」

「あり、ありがとう、ございます……」

「上の方はお任せしますねー。俺がやるとセクハラになっちゃうんで」


ニコニコと笑うたっつんから、げっそりしながらハンカチを受け取る。
そ、そんなこと言うぐらいなら、最初から私にやらせてくれればいいのに……!
半ば涙目で残りの汚れを拭き取る。
完璧に綺麗にはならなかったものの、大分目立たなくなった――ところで気が付いた。
このハンカチ、どうすればいいの?

汚して濡れたままのハンカチを、このまま返すのは気が引ける。
けれど、知り合いでもない以上、洗って返すというわけにもいかないのだ。
ど、どうしよう?

困った顔でたっつんを見上げる。


「あ、あの、ありがとうございました」

「いーえ」

「えっと、ハンカチ……」

「ん、ください」


手を出して、そのままハンカチを受け取ろうとするたっつんに、慌てて首を振った。


「でも、大分汚しちゃいましたし……!」

「別に大丈夫っすよ、それぐらい。洗うから」

「いや、でも……弁償! 弁償しますから!」

「んな大袈裟な!!」


今度はたっつんが慌て出し、私からハンカチを奪おうとする。
いや、元々たっつんのハンカチなんだから、「奪う」って表現はおかしいんだけど――。
ハンカチを挟み、やいのやいのと押し問答を続ける。
お互い一歩も譲らず、変な意地の張り合いになってしまっていた。

そんな私達を黙らせたのは、鳴り響いた、私の携帯着信音。


『オーレを愛せ! オーレを愛せ! おっそれずーにーXYZ!』

「……」

「……」


心臓が、止まる直前って、「ひゅっ」って音がするんだね。
生まれて初めて知ったよ、お母さん……。

そしてそのまま、私は意識を手放した。




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