例えば、例えば、だ。
いつもならブラウン管越しだったり、客席からだったり、
そんな風に、どこか別世界の人間のように思っていた人間が、ある日突然、目の前に現れたら?


これでも、一応オタクの端くれ。
そんな妄想、もとい想像をした事がないわけじゃない。

イベント帰りに寄ったお店でバッタリとか、バイト先でレジを打っていたらお客さんで、とか。
自分でも痛いなあと思いつつ、口にも出さずに夢見るくらいなら自由かなと、思っていた時期が私にもありました。


助けて誰か。鈴木達央が私の隣に。


(隣にお座りになりやがっておられます……!)


さっきから、冷や汗だか脂汗だか何だかよく分からない物が体から噴き出して止まらない。
心臓がドキドキし過ぎて、段々と呼吸も浅くなってきた。
酸素、酸素が足りない。


(ダメだ! これじゃあ、ハァハァ言ってる変態だ、私! 深呼吸、深呼吸――)


深く息を吸い込んで、固まる。


(たっつん、超いい匂い!!)


逆効果だった。
残念ながら、嗅いだだけで何の匂いか分かる程、私はオサレさんではない。
私は現実逃避気味に、悶々と考え出した。


(香水……かなあ? それともシャンプー? いいえ、ケフィアたっつんフェロモンです☆)


大変、私、思った以上にダメだわ。
考える事をやめて、こっそりと隣のたっつんを観察してみる事にした。

ブーツ! ブーツを履いていらっしゃいます!
全国のたっつんファンの皆さん! たっつんはプライベートでもオシャレさんです!

でもごめんなさい!
足元より上には視線が上げられません!

右半身が硬直し出して、そろそろ10分が経過したぐらいだろうか。
たっつんは席から動き出す気配もなく、当然私も、そこから動かなかった。
たっつんの方は見れないので、仕方なく別方向に視線を向ける。
週末のショッピングモールは、行き交う人達で溢れていたけれど、誰もたっつんに気付く様子はない。


(声優さんだもんなあ。さすがに気付く人は少ないのかなあ、もったいない……。
 み・な・さーん! ここにおわすお方が、かの有名な鈴木達央さんですよー!
 ビタミンの翼ですよー! 図書館の手塚ですよー!
 私、隣に座っちゃってますよー! ぶっちゃけさっきから、オーラで右半身が溶けそうですよー!)


そんなアホな事を考えていたら、隣で着信音が鳴り響いた。
私みたいなオタクには、縁のなさそうなかっちょいい曲。当然、曲名なんて分からない。
キャラソンやアニメの主題歌しか入ってない私の携帯とは大違いだ。

と、ここでようやくとんでもない事に気付いた。


(ケータイ、マナーモードにしないと!
 今誰かから掛かってきたら、たっつんの隣で『オーレを愛せ!』って聞こえてきちゃう!)


慌てて私も携帯を取り出し、マナーボタンを押す。
ホッと息をついて、私は右方向に意識を戻した。
先ほどの着信は、どうやらメールだったらしく、たっつんはポチポチと携帯をいじり始めていた。


(……誰からかなあ。わちゃ、とかだったりして――)


と、ここまで考えてハッとする。


(私……キモい!!!)


何をやっているのだろう。
これではまるでストーカーだ。後はつけていないけれど、このままじゃ、絶対に熱に浮かされてエスカレートする。
そんな痛々しい真似はごめんだと、ようやく重い腰を上げようとしたその時――


「ママ……」

「へ?」


足元にガシッとぶら下がられる感触を覚えて、視線を下げる。
見ると、小さな男の子が目に涙をいっぱい溜めて、こちらを見上げていた。


「ママ……!!」


彼氏もいた事ないのに、突然子供だなんて! 何この子! 妄想の産物!?


「いえ、あの、その、ち……ちがいます」


混乱しながらも、おずおずとそう伝えてみる。
途端に、男の子は声をあげて泣き出してしまった。

うわあ! ごめんなさい!!

小さな子に、それも恐らく迷子に助けを求められて「人違いです」はないだろう、私。
慌ててベンチから立ち上がり、男の子の傍に膝をつく。


「ご、ごめんね! ごめんなさい!」

「ママいないです……!!」

「そ、そうなんですか! ママ迷子ですね!!」


引きこもりがちな生活のせいで、ろくに人とも喋ってないのに、よりにもよって小さな子供。
私はどう相手したらいいのか分からず、おっかなびっくり頭を撫でてみた。


「あの……」

「は、はい? ――!!」

「大丈夫ですか?」


そう言って、私と同じように、男の子の傍に屈み込んできたのは、心配そうな顔をしたたっつんだった。
魂が抜けそうになっている私の隣で、たっつんが男の子にニカッと笑ってみせる。


「どした〜? 迷子なっちゃったのか〜?」

「う、あ、あ、あ、あ」

「ひ、ひきつけ起こしそうになってるぞお前……。
 だーいじょうぶ、大丈夫! お兄ちゃんとお姉ちゃんが、ちゃーんとママんトコまで連れてってやるから!」


そう言って、私に目配せをするたっつんに、ようやく固まった思考回路が動き出す。
私は、もぎ取れそうな勢いで首を縦に振った。


「う、うん、そう! 大丈夫です! その、ママもきっと心配して探してると思う、から……すぐに会えるよ。……ね?」


少しでも安心してもらいたくて、精一杯の笑顔でハンカチを差し出してみる。
男の子は、しゃくり上げながらも、ハンカチを握り締め、小さな頭をコクンと振ってくれた。

……私のあまりの必死さに、同情したのかもしれない。


「えっと、じゃあ俺、ちょっと地図? みたいなので、迷子センターとか探してきますんで、ここで一緒にいてもらっていいですか?」

「あ、は、はい。お願いします、すみません」

「いやいや。じゃあ、いってきます。――いってきま〜す!」


二回目のは男の子に向けての「いってきます」。
たっつんは男の子の頭を掴み、グリングリンと揺さぶると、エスカレーターの方へと駆けていった。


「……」


き、気まずい……!
こんな見知らぬよそ様の子と、一体何を話せばいいのか。それとも別に何も話さなくていいのか。
私は判断がつかず、じっと動けずにいた。
そんな私を、男の子が不安げに見上げてくる。

そうだよねえ! お姉ちゃんがこんな顔してたら不安だよねえ! ごめんねえ!

心の中で土下座をしながら、パクパクと口を開く。


「の、ノド渇いちゃったね。何か飲もうか? ジュース?」


顔をひきつらせながら訊ねる私に、男の子が首を振る。


「ママが……知らない人からもらっちゃいけませんって……」


こいつぁシッカリしたお子様だ!


「そっかあ、偉いね。じゃあ、えっと、……は、初めまして。私、 って言います」

「ボク、えのき しょうた……」

「よろしくお願いします」

「よ、よろしくおねがいします……」


頭を下げる私につられて、男の子――しょうた君もペコリとお辞儀する。


「……」

「……」


そして再び、会話は途切れてしまった。

〜〜人付き合いサボっててごめんなさい! ゲームばっかりしててごめんなさい!

「ああ、選択肢が欲しい……」と心の中で呟く。
悩みに悩み抜いた結果、私が選んだ選択肢は「もう一度話しかけてみる」だった。


「あの、しょうた君?」

「……」


淋しそうな瞳に、罪悪感で胸がいっぱいになる。
ああ! 私にもっと会話スキルがあれば!


「か、き、き、ききき、キバとか好き!?」

「き……ば?」


私ったらよりにもよって!
キョトンとしているしょうた君に、顔が真っ赤になる。
緊張で思わず声を張り上げてしまったせいで、周囲の人にまで振り返られて――


「仮面ライダーの?」

「!!」


小首を傾げるしょうた君に、ブンブンと頷いた。


「そ、そう! 仮面ライダーの!」

「好きだよ。どうして?」

「あ、あのね!」


鞄から携帯を取り出し、マナーモードを解除する。
そして、それをしょうた君へと差し出した。


「これ! ここのトコ、ちょっと押してみて?」

「……?」


いぶかりながらも、素直に受け取ってくれるしょうた君。


『目覚めの力、ウェイクアップ!!』

「!? キバットだ!」


携帯から飛び出した、仮面ライダーのキャラクターの声に、しょうた君が目を輝かせてくれる。

ありがとー! ありがとー、杉田さーん!!


『ウェイクアップ! 運命の鎖を解き放て!』

「うわー、すごーい! いっぱいある〜。あ、タツロットまで!」


着ボイスの一つ一つに歓声をあげるしょうた君。
私はその様子に、ホッと胸を撫で下ろ――したのも束の間だった。


『っさい! かわいいとか言うな!』


ギョッとして振り返ると、しょうた君が携帯片手に首を傾げていた。


「これ、何のキャラ?」


ひろCさ☆

なんて切り替えしが出来るはずもなく、私は予想外の出来事に動けずにいた。
予想しなかった事に、自分で自分に驚きだが。


『酒に酔うな、俺の声に酔え!』

「う、あ、ちょ」

『付き合って……みる?』


次々と繰り出される右ストレート並みのパンチングに、口を挟む事も出来ない。

どうしよう!! ドウシヨウ!!?


『跪け!!』

「!?」

「あれ? この声、さっきのお兄ちゃんに――」

「〜〜しょうた君!!」


しょうた君の肩をガシッと掴み、必死の形相で頼み込む。
たっつんの言葉通り、その場に平伏しそうな勢いで。


「そ、そ、そろそろ電池が切れそうなので、返してください……!!」

「は、はい!」


しょうた君が素直に携帯を渡してくれる。
そして、私の顔を覗きこみながら眉を寄せた。


「ごめんね、お姉ちゃん」

「え?」

「電池、だいじょうぶ?」

「う、うん。大丈夫。ありがとう」

「ほんとう?」

「うん、ホント」


ニコーッと効果音でも付きそうな顔で笑ってみせる。
しょうた君も、同じように笑ってくれて、私の笑顔もつられて本物になった。


「ごめん! お待たせ、です!」


息を切らせて駆けてくるたっつんに頭を下げる。
口調が少し妙なのは、私に対しての敬語と、しょうた君に対しての言葉遣いが混ざっているからだろう。


「おか、おかえりなさい。ありがとうございました」

「いえいえ。迷子センター、1階にあるみたいです」

「あ、はい。じゃあ、行きましょうか」

「はい。――う〜し、どっちに抱っこしてほしい?」

「へ!?」


素っ頓狂な声を上げる私を無視して、たっつんがしょうた君に訊ねる。
そんなのたっつんに決まってるだろうに……と考えている私の隣で、しょうた君は迷う事なく即答した。


「お姉ちゃん!」

「!?」

「あ、まちがえた!」


そ、そうだよねえ。ビックリした……。
驚いている私を振り返り、しょうた君は満面の笑顔で言った。


「『』ちゃん、だ」


さっき教えたばかりの名前を呼び、嬉しそうに私の手を取るしょうた君。

かわ いい よー!

あまりの愛らしさにフルフルと震える私には気付かず、二人が和気藹々とじゃれ合う。


「なんだよ〜。俺がいない間に、すっかり仲良くなっちゃって〜」

「ふふふ〜」

「お兄ちゃんは『たつひさ君』な。たっつんだ、たっつん。お前は?」

「しょうた!」

「しょうたか! よろしくな〜?」


しょうた君の頭を撫で、子供のように笑うたっつん。
その笑顔に、幸せいっぱいで泣きそうになる。
今日この時間に、ここに居てよかった……!


「えと、じゃあしょうた君。お、おいで?」


おずおずと、姿勢を低くして、両手を広げてみる。
しょうた君は、同じように両手を広げて、私の腕に飛び込んできた。


「よい、しょっと」


子供なんて抱き慣れていないから、落っことしやしないかとヒヤヒヤしながら抱き上げる。


「大丈夫? 痛くない?」

「うん」

「私の腕、ここでいいの? それとも、こっち持った方がいい?」

「そこでいいよー」


ついつい不安になり、逐一お伺いを立ててしまう。
そんな私の肩を、たっつんがちょいちょいとつついた。

たっつんが私の肩を!?


「しんどくなってきたら、途中で代わりますから。言ってくださいね」

「は、はい。ありがとうございます」

「そんな緊張しなくても」


ガチガチになっている私を見て、たっつんが軽く笑う。
そんなたっつんを見て、私は訳もなく、小さな声で「すみません」と言った。
コミュニケーション能力ゼロな自分に、少し惨めになりながら。




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