ケータイの着信音と同時に、目の前の少女は硬直してしまった。
俺も、思いがけなかった事に呆気に取られてしまったけれど、さすがに彼女ほど驚きはしなかった。
(……なるほどねぇ)
彼女の今までの挙動不審っぷりの全てに、ようやく納得がいく。
最初は、男慣れしてない子なんだろうなあと思っていたんだけれど――
(知ってたのかー、俺のこと)
着信音だけなら、「ゲームのファン」って事も有り得るだろうけど……。
この反応を見るに、明らかに俺の事を「声優 鈴木達央」として知っていたと考えて間違いないだろう。
青ざめた顔で凍りつく彼女――何だっけ? ああ、そうだ、確か……
(ちゃん、だ)
先ほどまで一緒にいたしょうたは、そう呼んでいた。
「ちゃん」は、いつまで経っても動き出す様子はなく、俺はガシガシと頭を掻いた。
参ったなあ……。
(一緒にいる間、ずーーっと思ってたんだけど……)
一歩足を踏み出し、ちゃんへと近づく。
さっきまでなら、喉の奥で「ひぇ」とか言いながら離れたであろう彼女は、意識を手放している所為で動かない。
悲壮な顔つきのまま固まっているちゃん。
その様子に、俺は、口元に手をやり笑みを隠した。
(ところどころで、嗜虐心煽ってくるんだよなあ、この子)
けれど、さすがに知り合ったばかりの、それもファンでいてくれるかもしれない子に、ドS全開で接するわけにもいかない。
俺は軽く咳払いをし、ちゃんの肩を叩いた。
「あの、大丈夫?」
「……」
「おーい、大丈夫ですかー?」
何回か声を掛けていると、ちゃんがハッと意識を取り戻す。
そして、俺の予想通り小さく「ひぇ」と言った。
「だい、大丈夫です! スミマセン!」
「いや、あの」
「スミマセン! 違うんです! スミマセン!」
「な、何が?」
ちゃんが、涙目で自分の前髪を掴む。
「す、ストーカーとか、そんなんじゃないんです! 本当に偶然で、ホントの、ホントに……!」
「わ、分かってるから、そんなこと」
「ホントに、スミマセン……!」
今にも泣き出してしまいそうなちゃんから、俺はぎこちなく目を逸らした。
あーもー、マジ、勘弁してください……。
「あ、の、ハンカチ……」
「ああ、えっと――」
再びちゃんに向き直り、赤く滲んだ目尻と、おろおろと落ち着かない仕草に、今度は俺が固まる。
その、全身から漂う「いじめて」オーラ、何とかしろこの野郎。
「――やっぱ、いいや。それ。持ってって」
「……!」
俺のその言葉に、ちゃんの目が揺れる。
大方、「やっぱり、ファンが使った物なんて気持ち悪いよね……!」みたいな事を考えているんだろう。
分っかりやすいなー、この子。
「弁償は、別にしてくれなくていいから。洗って返して」
「…………は?」
間抜けな顔で見上げられ、吹き出しそうになる。
「今度、『もしも』、イベントとか来てくれる機会があったら、その時に」
「えっと、えーっと……え?」
意味を図りかねているちゃんに、俺は満面の笑顔で言った。
「じゃ、またね」
そのまま、彼女の返事をまたずに背を向ける。
わざわざ確認しなくたって、素直過ぎる彼女がどんな反応をするかなんて、分かりきっていたから。
しばらくの間、俺が今言った言葉の意味を、うんうんと唸りながら考えるであろう彼女に、自然と笑いが込み上げてくる。
知らず知らずの内に鼻歌を歌いながら、俺は「次のイベントっていつだったっけ」と頭の中のメモ帳をめくった。
********
それから数ヵ月後、俺は渋い顔で目の前にあるハンカチを見つめて――いや、睨み付けていた。
その様子を見て、今日、一緒にイベントをやる事になっている渉が声を掛ける。
「たつ〜、どうした〜?」
「べっつに」
素っ気無く顔をそむけ、俺はため息をつきながら、手の中にある手紙に、もう一度目を通した。
渉が後ろから覗き込み、首を傾げる。
「ファンの子から? ハンカチ貰ったの?」
「んー」
手紙を読み返し、ひっくり返し、明かりに透かしてみる。
「いや、何やってんの!?」
「べっつに!!」
「何怒ってんだよ!?」
手紙を丁寧に折りたたみ、机の上に置く。
口を尖らせながら頬杖をつき、俺は鏡越しに渉へ事の顛末を説明し出した。
「……つまり、その女の子から、今日ハンカチが返ってきた、と」
「そう」
「よかったじゃん。イベント、来てくれてるんだろ? 何ふてくされてんだよ」
「ちょっと見てみ」
手紙を差し出し、読んでみるように促す。
渉は椅子に腰掛けると、手紙を朗読し出した。
「えーっと、なになに〜?」
『こんにちは。大分前になりますが、一緒に迷子のお母さんを探してもらった者です。
その節は、本当にありがとうございました。
遅くなってしまいましたが、ハンカチをお返しします。
それでは、イベント頑張ってくださいね。楽しみにしています。 』
そう読み上げて、渉が脇に置いてあったハンカチを手に取る。
「そっちは、俺のじゃない方な」
「ああ、新しいのも一緒に贈ってくれたんだ? 律儀な子だねー」
「うん」
「……で?」
渉が、手紙にもう一度ざっと目を通しながら、問い掛ける。
「何がそんなに不満なわけ?」
「…………てない」
「は?」
「リターンアドレスが書いてない!」
キョトンとする渉の肩を力いっぱいに揺さぶり、俺は声を荒げた。
「普通書くだろ!? 普通はこう、文章の最後辺りに書いてあるものだろ!? 名前と一緒に!」
「ちょ、たつ、いた、いたたたた!」
「ギブギブ」と渉が俺の手を叩く。
乱暴に手を離し、俺はそっぽを向いた。
そんな俺に、渉が苦笑する。
「微妙に顔見知りになっちゃった分、住所なんか書いたら返事強要してるみたい、とか思っちゃったんじゃないの?
話聞いてるとこう……謙虚? な子みたいだし」
「いや、多分ネガティブなだけ」
何度目か分からないため息をつきながら、俺は手紙を丁寧にたたんだ。
元通り封筒にしまい込み、鞄に入れる。
「何かこう……悔しいんだよな……。唯一の繋がりを、向こうからあっさり断ち切られたっつーか……。
『悔しい』って思っちゃった事がまた悔しいっつーか……」
「素直に『淋しい』って言やいいのに……」
「ああ?」
渉の頬を思いきり引っ張り、半笑いで青筋を浮かべる。
「な・に・を言ってくれっちゃってんのかな〜?」
「ひゃ、ひゃってほまえ、ほうひゅっへるひょうにひか」
意味不明の言語を喋り、渉はジタバタともがいた。
何を言っているのか分からないから、少し手を緩めてやる。
「何だって?」
「だってお前、そう言ってるようにしか聞こえな――いひゃいっての!」
薄笑いのまま、俺の青筋がもう一つ増えた。
再び渉の頬を引っ掴み、左右にビローンと伸ばしてやる。
「何かだんっだん……腹立ってきた」
「はあ!?」
「むっちゃくちゃ腹立ってきた!」
バチン! と手を離すと、渉は涙目で頬を押さえ、屈み込んだ。
そんな渉を無視して、俺は拳を握り締める。
「少なくとも、今日の会場にいる事は確かなんだよな……! ぜっっってー見つけ出してやる……!!」
「た、た、た、たつくーん? もしもーし?」
「んでもって、すっげぇ熱烈な視線送ってやる!
周りの子達から『え? やだ、何この子、もしかしてたっつんの知り合い?』とかいって、軽くやっかまれるぐらい、イベント中構い倒してやる!!」
「や、やめろよ、馬鹿! 可哀想だろ!?」
「知った事か!! 投げチューしてやる! ウィンクもしてやる! ありとあらゆる方法でアピりまくってやる!!」
そうと決まれば、こんな所でダベってる場合じゃない。
俺は指をポキポキと鳴らし、スタンバイの為、舞台袖へと向かった。
俺の過剰なサービスに、心底困った顔で固まる、の姿を想像しながら。
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