第32話 甘過ぎる男









「あれ? 起きてたの? てっちゃん」

坂田「ああ。お前は、風呂に入ってたのか」

「誰かさんが、シャンパン撒き散らせてくれたお陰でね」

坂田「ハハッ。――ホラ、髪乾かしてやるからおいで」

「うん。あ、ドライヤーはいいよ。みんな起きちゃうでしょ」

坂田「馬鹿言うな。冬だぞ」

「でも」

坂田「いいから。早く座れ」

「うわっぷ! ちょ、てっちゃ――」

坂田「問答無用」




坂田「よしっと。こんなもんだろ」

「ありがと」

坂田「、ブラシ」

「ん」


髪が梳かれていく感触に目を閉じる。
時折ブラシに引っ掛かる髪を、テツガクは引っ張る事などせず、丁寧に外した。



坂田「随分伸びたな」

「そう?」

坂田「ああ。もう少し伸ばせば、遥か3の望美コスがウィッグ無しで出来そうだ」

「地毛を真っピンクに染めろってか。無茶言わないでよ、もう……」

坂田「こーら、もたれかかるな。とかしにくいだろ」

「んー。……ねー、てっちゃん」

坂田「なんだ?」

「……私、てっちゃんに何かした?」

坂田「は? 『何か』って?」

「怒らせるような事とか、その……嫌われちゃうような事とか」

坂田「……」

「……黙んないでよ」

坂田「いや、急にしおらしい事を言われたもので」

「そ、……そんなことないですよ」

坂田「そうですか」


笑ってブラシを置き、今度は指でその髪をすくう。
骨ばった指は僅かほども引っ掛かる事なく滑り落ち、その出来に、テツガクはまた満足そうに笑った。



坂田「何だってそんな風に思ったんだ?」

「だって……」

坂田「だって?」

「……一緒にいてくれなくなった」


……。


坂田「……そうか?」

「そうだよ!」

坂田「そうかなあ」

「何とぼけてんの。絶対そうだよ。前は、毎日ってぐらい顔合わせてたのに」

坂田「というより、お前がカズナやトキヤ達と、ずっと一緒にいるようになったからなんじゃないか?」

「というより、その二人を紹介してからだよね。一緒にいてくれなくなったの」

坂田「……淋しいのか?」

「……少し」

坂田「けど、『少し』だろ? あの二人がいるから」

「それとこれとは別の問題でしょ。あの二人がいたって、てっちゃんに嫌われたんだったら、淋しいし哀しいよ、私は」

坂田「どうしたー? ー? 今日は随分と素直だな」

「あーもー、いいよ。どうせ茶化して答えてくれないんでしょ。もう訊かない。訊きません」

坂田「拗ねるなよ。何だよ、これでもちゃんとお前の事は気に掛けてるんだぞ。今日のミニスカサンタだって、ちゃんとカズナに写メを撮ってこいと依頼してだな」

「な、何してくれちゃってんの!?」

坂田「いやー、可愛い可愛い。うちの子は最っっ高に可愛いなあv」

「だらしのない顔してもう……!!」

坂田「いや、ホントに」


トーンを落とした声に、携帯を奪おうと伸ばしていた手が止まる。


坂田「可愛くなったよ、お前。いろーんな意味で。……あいつらに感謝だな」


目を細めるテツガクから視線を外し、俯いた。


「……てっちゃんは」

坂田「ん?」

「てっちゃんは、分かってたんでしょ。私なら、絶対にあの二人を好きになるって。だから、紹介したんでしょ」


洗いたての髪が、俯いた顔を覆う。
その髪に指が絡められ、すくい取られるのにつられて、視線を上げると、



坂田「違うよ」


ほんの少しだけ、困った顔をして、テツガクが笑っていた。


坂田「あいつらなら、絶対にお前の事を好きになると思ったんだ」




















佐伯「――てっさん先輩? 外にいるんスか?」

坂田「カズナ」

佐伯「うわ、さみっ! 何やってんスか、こんな真冬のベランダで」

坂田「お前こそ」

佐伯「俺は、ちょっと目が覚めちゃって。ムカムカするから、酔い覚ましに――って、てっさん先輩、また飲んでるんスか!?」

坂田「補給しないとな。体内のアルコール分が不足すると、いつもの俺じゃなくなるから」

佐伯「……そうみたいっすね」

坂田「……」

佐伯「……」

坂田「聞いてたわね! カズナさんのエッチ!」

佐伯「しょうがないじゃないっすか! あんなドライヤーヴォンヴォン掛けてたら、そりゃ目も覚めますよ!」

坂田「いやだわ〜、そこは『しずかちゃんですか!?』とかつっこんでほしかったわ〜」

佐伯「……さっきのあれ、本音ですか?」

坂田「どれ?」

佐伯「俺らが、を好きになると思ったから紹介したってやつ」

坂田「外れてないだろ?」

佐伯「まあ……」

坂田「あら素直。ま、本音半分ってトコだな」

佐伯「じゃあ、あとの半分は?」

坂田「俺はなー」


缶ビールをあおり、テツガクがベランダの柵へとだらしなく体を預ける。
落ちるんじゃないかと、カズナは内心ヒヤヒヤしながら、そのシャツの裾をこっそりと掴んだ。



坂田「に甘いんだ」

佐伯「……は?」

坂田「そりゃもう全力で。これでもかってぐらい。とことん限界まで甘々なんだ」

佐伯「あまあま……」

坂田「どれぐらい甘いかっていうと、例えばあいつが一言『オレオの真ん中の白い部分が食べたい』なんて事を言い出した日にゃあ、
    真夜中だろうが明け方だろうが、コンビニへとオレオを求めて彷徨い歩き、そしてあいつがパクパクとオレオの白い部分を食べてる隣で、黙々と残った黒い部分を食してしまえるくらい、甘いんだ」


佐伯「甘いなんてモンじゃねぇ!!!」

坂田「ひたすらに、どこまでも、際限なく甘やかしてやりたくなるんだ」

佐伯「てっさん、それはもう病気です」

坂田「俺もそう思ったさ〜。だから、離れようって心に決めてんだろ。断腸の思いで。あのままじゃ、二人ともダメダメになっちゃうかもだったからな」


「いや、俺は最初から駄目人間だけど」と、テツガクはヘラヘラと手を振った。


坂田「けど、一人ぼっちには出来ないだろ。そこで、お前ら二人に白羽の矢が立ったわけだ♪」

佐伯「過保護すぎませんか、てっさん……」


大切にして、大切にし過ぎるから、大切にする為に離れようって決めて。
けれど、他人と必要以上に親しくなろうとしない性格が心配だから、その後の事にまで気を配って。



佐伯「限度ってモンがあるでしょーが……」

坂田「ハハッ、リミッターなんか、とっくに外れちゃったv」

佐伯「……傍にいるって選択肢は、なかったんスか? 彼氏として、とか」

坂田「ないな。ありえない」

佐伯「何でっすか」

坂田「お前も知ってると思うけど、あいつ、俺らみたいに『近い人間』からそういう意味で好かれんの、好きじゃないんだよな」

佐伯「……あいつが嫌がるから、それだけの理由で、割り切れるモンなんですか?」

坂田「だから言ってるだろ。俺はに甘いんだよ」


手元で缶を弄び、夜空を仰ぐテツガク。
アルコールは、まだ足りてないようだった。



佐伯「……けど、てっさん凄いっすよね」

坂田「何がだ?」

佐伯「俺ら、あいつをうまく甘やかす事なんて出来ないっすよ。甘えんの苦手っつーか、下手でしょ、あいつ」

坂田「いやいや、あれでもにしては、かなり甘えてる方だぞ。うまく懐柔したもんだなって、感心したくらいだ」

佐伯「そりゃ、最初の頃に比べればね。……でも、てっさんには敵わないっす」


「そうか」と、息を吐くように呟いたテツガクが、残った缶ビールを一気に飲み干す。
その表情は、彼の背にある月が逆光となって、見る事は出来なかった。
都会にしては明る過ぎる月夜と、冷えた空気の所為だろうか。
いくらアルコールを摂取しても、彼は酔いそうになかった。



彼女は俺の――攻略本だ

最初、テツガクからそう紹介された時には、我が先輩ながら何て……と少し呆れた。
けれど今思えば、あの言葉さえも、彼女を思ってのモノだったのだろう。
好意の理由が明確になっていれば、そしてそれが、恋愛感情でさえなければ、彼女は安心してその好意を受け入れる事が出来るから。



坂田「というわけなんで、俺はあれだ、足長おじさん的なポジションを目指してくんで」

佐伯「てっさんじゃただの細長おじさんですよ……」

坂田「あとはヨロシクv カズナ君♪」

佐伯「俺は――」

坂田「上の言う事には〜?」

佐伯「ぜ、絶対服従」

坂田「マルだけじゃなくて、お前らにも適用されるんだぞ、あれv 何故なら俺は、一番の年長者だから♪」

佐伯「……善処しますよ、出来る限り」

坂田「よしv」









































































だけど、てっさん。
俺は……俺にも、きっと無理だ。てっさんとは違う理由で。
だって、俺のあいつへの気持ちは、とっくに恋愛感情なんだ。
押さえつけて蓋をしても、鍵かけても、事あるごとに再認識させられる。
あいつが店の客相手にしてる時や、……トキヤと話している時でさえも。
てっさんみたいに、「大切にしてやりたい」とは思っても、その気持ちが沸きあがってくる、根本的な理由が違うんだ。

いつか、離れる日が来るんじゃないだろうか。
それが、あいつからなのか、俺からなのかは、まだ分からないけれど。


いつか、……いつか。





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