第29話 メッセージ
『台所へ行け!!』
「……」
いつものようにテツガクの家に辿り着き、いつものように玄関のドアを開けようとして、硬直。
ギギギ、と機械仕掛けの人形のように首を傾げ、その張り紙を凝視する。
『台所へ行け!!』
「行けって言われても、てっちゃんの家は玄関入ってすぐが台所なんだけど……」
ご近所様に見られたらどうするんだ、恥ずかしい。
自己主張の激しいその張り紙をベリベリと剥がし、その扉を開ける。
とりあえず、言われた通りに台所に立ってみると、食卓の上にはまた紙が。
『イスの上を見ろ!!』
「何で命令形なのよ……」
仕方なく、台所に置いてあるイスの上を調べてみる。
が、4つある内のイスにはどれも異常はない。
「って事は、向こうの部屋のか」
テツガクがいつだったか酔っ払って購入してきた、マッサージチェアの上に、また同じように紙が乗せてある。
「なら、『マッサージチェア』って書けばいいのに……」とブツブツ言いながら、その紙を読み上げた。
「……鈴木達央は……はあ?」
『鈴木達央は好きか!!』
「いや! 『大好き』だ!」
思わずそう返したものの、「え? これで終わり?」と首を傾げる。
もう一度、紙に目を走らせてみても、『鈴木達央は好きか!!』としか書かれていない。
ポカンとしながら、紙をひっくり返してみると、またもや文字が飛び込んできた。
『キッチンでじゅうなん体操をしろ!!』
「台所からキッチンになった! 何か少しお洒落な言い方になった!」
「柔軟くらい漢字で書けないのか」とか、「いやいやその前になぜ柔軟?」と色々と思うところはあったものの、意味もなくこんな事をする人間ではない。テツガクならともかく。
下手くそな字にため息をつきつつも、言われた通り、再び『キッチン』に立ってみる。
「柔軟って言われても……私、体硬いのに……」
渋々前屈の姿勢を取ってみる。
当然の如く、床までは手が届かず、喉の奥で「ぐぇえ」とくぐもった声が漏れた。
そういえば、以前にテレビか何かで言ってたっけ。
「ふにゃふにゃ〜」とか言いながら曲げてみると、いつもより曲がるって。
あれって、何でだったっけ?
とりあえず、記憶を元に実践してみる。
「ふにゃふにゃ〜……」
僅かにだが、先ほどより曲がった気がしないでもない、……が。
思い出した。
『息を吐きながら曲げると効果的』ってだけで『ふにゃふにゃ』にあんまり意味はないんだった! 恥
ず か し い ! !
一人で勝手に赤面し、「前屈やめやめ」と首を振る。
今度は腰に手を当てて、上体を後ろに反らしてみた。
「……あ」
天井に貼り付けられた紙を見つけ、声を上げる。
『だんだんノドが渇いてきただろう! 冷蔵庫を開けろ!!』
「お気遣いいただきまして」
もうこうなれば最後まで付き合おうと、冷蔵庫へと向かう。
小さなその扉を開ければ、見慣れない紙パックとまたまた張り紙。
『バナナジュースだ! 飲め!!』
「喉が渇いてる時にバナナジュース!? くどっ!!」
紙パックにストローを挿し、チューっと吸い込みながら、またもや立ち往生。
今度は紙の裏にも何も書かれておらず、完全に行き止まってしまったのだ。
「あ、そっか。これで終わりか。ジュースでゴール?」
彼なりの、仲直りの証なのかもしれない。
随分と回りくどいが。
「ごちそうさまでしたっと」
飲み終わった紙パックを捨てようと、ゴミ箱へと向かう。
ペダルで開閉式になっているその蓋を開けてみれば……蓋の裏にまたまた紙が。
『可愛くないのは本当だから、前言てっかいしてやらん』
「な……!!」
乱暴に紙を剥ぎ取り、ズカズカと部屋の方へと戻る。
真っ直ぐに押入れに向かうと、派手な音を立て、そのふすまを開け放った。
佐伯「おっわあ!?」
「何がしたいんですか、貴方は!」
佐伯「な、なんで分かったんだよ!?」
「さっき私が柔軟してる時に、一瞬吹き出したでしょう!? このセクハラ男!」
佐伯「せ、セクハラ!? 俺はただ体操しろっつっただけなのに、お前が一人で『ふにゃふにゃ〜』とか言い出すからだろ! 何が『ふにゃふにゃ』だ、アホかお前!」
「〜〜っ!! わ〜す〜れ〜て〜! 今すぐ忘れて! 消去! しょーきょー!」
佐伯「や〜め〜ろ〜、バカ! そんな所にデリートキーはついてねー!」
「一体何なんですか! 私は! 今日カズナ君に会ったら、ちゃんと仲直りしようって、そう思ってたのに……!」
佐伯「俺だって思ってたよ! けど、お前が途中で帰ってくるから――」
「……は?」
佐伯「いや、だから、その」
薄暗い押入れの中、あぐらをかくカズナの手に、サインペンが握られたままな事に気付く。
佐伯「それが最後の一枚だったのに、書いてる途中で、お前が帰ってきたのに気付いて……とっさに」
「押入れに隠れちゃったんですか?」
佐伯「笑いたきゃ笑え!!」
「アハハハハ!!」
佐伯「ホントに笑うな!!」
「な、何て間の抜けた……ダサい……ダサ過ぎる……」
佐伯「うっせーよ! ああもう!!」
「わっ!」
力任せに腕を引っ張られふらつく。
体制を整える間もないまま、左手の甲にペンが走る感触。
「ちょ、カズナ君!? それ油性なんじゃ……!?」
佐伯「暴れんなって。大人しくしてたら、痛くしねーから」
「いい声で鬼畜な台詞はやめてー!」
佐伯「あ、コラ!」
押さえつけられていた腕を引き抜き、手の甲を見つめる。
そこには、
「おめでとう」の一言が。
「……」
佐伯「……」
「……『ごめんなさい』じゃないんだ」
佐伯「当たり前だろ。俺が言わなくちゃいけないのはそれ。『ごめん』は、お前が言わなくちゃいけないこと」
チラリと真剣な眼を向けられ、は罰が悪そうに頬を掻いた。
「……ごめんなさい」
佐伯「……うん」
「ゴメンね。ありがとう」
佐伯「おう」
「今度、プレゼント買いに行きましょうか」
佐伯「だな。しゃーねーから、お前にも何か買ってやるよ」
「うん。……祝って」
佐伯「……任しとけ」
お互いに顔を見合わせて笑い、無事に仲直りが済んだ事にホッとする。
ようやく押入れから出てきたカズナが、ふと口を開いた。
佐伯「今から行っちゃ駄目なの?」
「買い物に?」
佐伯「うん」
「この手で?」
「おめでとう」と書き殴ってある手を、ヒラヒラと振ってみせる。
佐伯「……手の平に書いてやりゃよかったな」
「どうしてカズナ君はどこまで行っても上から目線なの……」
佐伯「お前がどこまで行っても可愛くねぇのと一緒じゃねぇかな……」
わざとらしくため息をつき、二人はまた笑った。
倉橋「ちゃんってさー」
高森「んー?」
倉橋「お店のお客さんとかに、すごい好かれてるじゃん?」
高森「だな。――トキヤ、ニンジン食べる?」
倉橋「うん。なのに、何であんなにこう、何て言えばいいんだ? 好かれ慣れてない? っていうか……」
高森「ああ……。それ、お前らからの好意に、だろ? 猫かぶってる相手以外に好意持たれるのが、心底不思議なんだよ、あいつ。トキヤ、ピーマン食べる?」
倉橋「うん。こないだもさ、ちゃん、カズナの誕生日はちゃんと覚えてて『おめでとう』言ったんだけどさ、肝心の自分の誕生日言うの忘れてて」
高森「忘れてたっつーより、言う必要性を感じてなかったんだろ。トキヤ、キャベツ食べる?」
倉橋「何で野菜嫌いのくせに、野菜炒めを頼むんだよお前は!」
高森「野菜炒めに入ってる肉が食いたかったんだよ!」
倉橋「ああもう……分かったから、肉だけ先に食べろよ。残り食ってやるから」
高森「ん」
倉橋「知り合ってからさ、まだ一年も経ってないんだけど、それでも一緒にいる時間とか長いし。最初の頃に比べると、随分仲良くなれてきた気がしてたんだよ。
ってか、俺とカズナの中では、『仲の良い女の子No.1』だし。そりゃもうダントツトップで」
高森「も、多分お前らの事が好きだろうよ。ダントツトップで」
倉橋「うん、それはもうこないだ確認した」
高森「か、確認? 直接訊いたのか?」
倉橋「……? うん」
天然ってこえーな……
倉橋「好きだとは言ってくれるけど、ちゃんは、『俺達と仲良しv』みたいには思ってなさ気なんだよなー。
誕生日の件だって、さっきお前も言ってたけど、『言う必要性を感じてなかった』って、何だよ、もう。
祝えなかった事に対してもそうだけど、俺らがちゃんの誕生日をスルーしても平然としていられると思われてる事がショックだし、腹も立つっつーの!」
高森「腹立てたのか? 珍しい」
倉橋「うん、まあ、カズナが先にキレてたけどね」
高森「あー、目に浮かぶわ」
倉橋「なんっっっであの子は、あんなに……ああなんだろうね! 上手く言えないけど!」
高森「言いたい事はよく分かるぞー」
そりゃもう痛いくらいに
倉橋「何ていうか……もどかしい? そう、もどかしいんだよ!
何かこう、何でもない時でも、頭の中で小難しい事を考えていそうな……もっと脊髄反射で生きられないのかー!? みたいな」
高森「今回の酔っ払いトキヤは、熱血バージョンか……」
倉橋「別に、そんな色々考えなくてもいいのに……。その内、一緒にいると疲れる、とか言われんのかな……」
高森(そんな事、相手に伝える前に離れてくと思うけどなあ、あいつ)
倉橋「さーみしーなー、もー。俺、今、あの三人でいるのが一番楽しいのに……」
高森「……お前の怖い所は、そこまで言っててもそれが純粋な好意ってトコだよな」
倉橋「……? どういう意味?」
高森「そのままでいいって意味だよ」
だから、あいつもまだ、傍にいられるんだろうから。
倉橋「あ! トモといるのも楽しいからな! ちゃんと、トモの事も好きだからな!」
高森「うわ、キモい」
倉橋「キモい!? ねえ、今キモいっつった!?」
高森「この線からこっち出ないでね。バーリアー」
倉橋「や、野菜で線を引くな! コラ! 食べ物を粗末にするんじゃありません!」
高森「線から出たら、罰金7000円だからな」
倉橋「何その微妙に払えそうな金額設定! まだ100万円とか言われた方がマシだ!」
高森「あ、今トキヤの吐いた息が、こっち側に侵入してきた」
倉橋「息も駄目なの!?」
高森「罰としてこれを食べなさいー」
倉橋「う、うわ、やめ! 境界線の、ちょ、机に直置きした野菜を食わせようとすんなー!」
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