第27話 学園祭 -後編-
女性「……何で黙ってるの?」
は?
突如頭の上から威圧感のある声が聞こえ、は顔を上げた。
あのままカズナの元へは帰る気になれず、屋台で購入したヤキソバを片手に、小休止をとっていたのだ。
赤レンガの壁にもたれて。
声はどうやら、壁の向こうの教室から聞こえてきたらしかった。
開けたままにされた窓から、またもや苛ついた声が漏れる。
女性「ハッキリ言ったら? 『別れたい』って」
思いがけない言葉に、ヤキソバを頬張ったまま硬直する。
――修羅場だ! えらいこっちゃ!
(ど、ど、ど、どうしよう! このまま立ち聞き(いや座ってるけど)してるのもマズイよね!? は、離れなきゃ――)
女性「何とか言いなさいよ!」
(ひぃい!)
ほんの少しの好奇心がなかった訳ではないが、見つかった時の恐怖心の方が強い。
気付かれないよう、細心の注意を払いながら立ち上がろうとしたその時――
男性「俺達って付き合ってたの?」
ようやく口を開いた男の発言に、あんぐりと口を開ける。
(火に油どころか、ガソリン注ぎおったこの男!!)
呆気に取られていただったが、そこでようやく気が付いた。
聞き覚えのある声に飄々とした態度。
修羅場真っ只中にいる片割れが、見知った男――トモだという事に。
(ほ、本当にロクでもないなあ、トモは……)
今までの愚行の数々を思い浮かべ、少し遠くを見つめてしまう。
そんな彼女を、パシッという乾いた音が現実へと引き戻した。
(え――?)
思わず後ろを振り返ると、――いつも通り飄々とした表情のトモと目が合った。
女の顔が覆いかぶさっていたので、片目だけだったが。
女性「最っっっ低……!!」
搾り出すようにそう吐き捨てると、女は教室から飛び出していった。
「……」
高森「……」
「……」
高森「……ちゃんったらやっらし〜」
「何で私が! やらしい事してたのはトモの方じゃん!」
高森「したんじゃなくて、されたんだもん。不可抗力だろ?」
「こ、この男はぬけぬけと……!」
高森「何やってんの、お前。こんなトコで」
「いや、それはこっちの台詞なんだけど……」
高森「俺? 俺は見た通りだけど?」
「見た通り……」
高森「ビンタされてチュウされて罵られました」
「……もうちょっと色々と気を付けなよ。いつか後ろから刺されるよ」
高森「だって俺、『付き合おう』なんて一言も言ってないのに、向こうが勝手に勘違いしてたんだぜ? それを――」
「やめなってば。どうせ、そんな風に『勘違いしてる』って事も、分かってて放っておいたんでしょ。少なくともあの人は、それが『勘違い』だったって事に、ショック受けてたよ」
高森「プライドが傷ついたんじゃないのかなー」
「そうだとしても、自分に好意持ってる人間を、わざわざ傷つけなくてもいいでしょ。あんな言い方する必要、どこにもない」
高森「言わなきゃ分かんない事だってあるんだよ。あ、それ一口ちょうだい」
「え? ヤキソバ?」
高森「うん。口直しに」
「だから、そういう言い方――」
高森「傷つけたり、傷つけられたり、そういうの全部から逃げてる自分は、誰も傷つけてないとでも思ってんの?」
「――っ」
高森「……」
「……ごめん。言い過ぎた」
高森「うん。俺もおんなじ事思ってた」
「ちょっと、苛々してたのかも」
高森「うん。知ってる」
「ごめん」
高森「うん。じゃあ俺もごめん」
「そっちじゃなくて、……ごめん」
高森「うん」
うん、分かってるよ。
本当に、あの頃とは随分と変わってしまったんだって事も。
佐伯「やっと帰ってきやがったー!」
高森「おわ、キレてるキレてる」
「当たり前でしょ。誰が悪いの」
高森「俺?」
「分かってて訊かない」
高森「カズナー、あれから何か売れた?」
佐伯「ゲームが二本と、あとフィギュアが結構。けど、やっぱ鎧が売れねー」
「そりゃ鎧だしねえ……」
高森「鎧はなあ……」
佐伯「売れるわけねーよなあ……。あれ? 、トキヤは?」
「ああ、トキヤ君なら、さっき大家さんの娘さんがみえて」
佐伯「…………え、マジ?」
「うん、マジ」
高森「……」
「だから、一緒に回ってる筈ですよ。今頃」
佐伯「そっか……。で?」
「え? なに?」
佐伯「何でお前は、いそいそとウサギの着ぐるみを着用し出したんだ?」
「このままじゃ売れ残りだらけでしょ。客引きでもしてこようかと思って」
佐伯「いや、それ、お前には確実にデカイし。ぶかぶかだし」
「男ならワンサイズ上の衣類を着用してる女子に萌えろ!」
佐伯「どこの世界に着ぐるみにときめく男がいるんだよ! バニーガールとかならともかく!」
高森「……のバニーガール?」
佐伯「……うっわ、似合わね!!」
「勝手に想像しといて! 失礼な! ――ともかく、そこら辺をぐるっと回ってきますから。あ、チャック上げて、チャック」
高森「はいはいっと」
「ありがと。じゃ、いってきます」
佐伯「ちょ、――」
高森「いってらっしゃーい」
佐伯「……」
高森「……」
佐伯「……なあ」
高森「なに?」
佐伯「……あいつ、変じゃなかった?」
高森「変に決まってるだろ。人見知り激しい人間が、知らない人間ばっかの所で、客引きになんか行くわけねーじゃん」
佐伯「じゃあ何で止めな――」
高森「教えてあげないよーん。あ、いらっしゃーい。気に入ったのあったら言ってねー。安くしとくよー」
佐伯「……順番からいったら、次はお前だよな」
高森「は? 何が?」
佐伯「店番!!」
勢いよく立ち上がると、カズナはそのまま駆け出して行った。
みるみる間に遠ざかっていく後姿をそのまま見送り、ため息をつく。
どいつもこいつも、馬鹿ばっかりだ。
そう心の中で呟いて、トモは小さく苦笑した。
何度も、何度も、何度も見てきた。
あの鈍感バカに、不運にも惹かれてしまった人間の涙を。
そんな風に、もいつか泣かされるのだろうか。泣くのだろうか。
トキヤを想って。
佐伯「――ボサッと突っ立ってるだけじゃ、客引きにはなんねーぞ」
「……カズナ君」
佐伯「もっとこう、愛らしい動きで媚びを売れ、媚びを」
「任せて。超得意」
佐伯「バーカ。……何だよ、なにか、見てて楽しーモンでもあったか?」
「ううん。あ、『ううん』でもないかな。楽しいよ。こういう雰囲気、前はあんまり好きじゃなかったんだけど」
佐伯「あー、そんな感じだな、お前」
「うん。学校の行事とかも、参加はしたけど、『こんな時間があるなら、家帰ってゲームしたいなー』って、準備中も本番中も思ってた」
佐伯「かわいくねー」
「アハハ、私もそう思う。ああいう行事って、ノリが悪かったり、テンションが低かったりすると、悪目立ちするんですよね。私、それが凄く嫌で」
佐伯「うん」
「だから、なるべく目立たないように、適当に合わせて。私、そういうのも超得意」
声が掠れているのには、気付かない振りをした。
「でも、今は何でか知らないけど、嫌いじゃないんですよね。この雰囲気が。何でかなあ」
佐伯「お前、今楽しいわけじゃないだろ」
「え?」
佐伯「俺には、……『羨ましい』って聞こえる」
「……羨ましい?」
行き交う人々に目を細めている自分に気付く。
……ああ、そうか。
「……そっか。そっか、私、……羨ましかったのか」
こんな風に、わいわいと皆で過ごす時間を、夢中になれる事を、「心の底」から楽しめたなら。
それは、とても幸せで、「普通」な事のように思えた。
「……大学進学、すればよかったかな。キャピキャピしながら、キャンパスライフ送っちゃったりなんかして」
佐伯「似合わねー!」
「通うなら、やっぱりここの大学がいいな」
佐伯「あー、そうしたら、てっさんに紹介される前に会ってたかもな」
「ね」
着ぐるみの中、笑みを浮かべながら思う。
どれだけ羨んでも、きっと自分はこの雰囲気に溶け込む事なんて出来ない。
誰かさんが言う通り、根本的に可愛くないのだ、自分は。
『そうしたら、てっさんに紹介される前に会ってたかもな』
ああ、もしそうだったなら。
オタクだなんて事、ひた隠しにして、普通の子として振舞ったのに。
素の自分として、親しくなってしまうその前に。
倉橋トキヤと、佐伯カズナに出会いたかった。
そして、今の自分のように、こんなにも二人を大切だと思ってしまうその前に、離れてしまいたかった。
可愛くない。だけど、本音だった。
安東カスミの存在を再確認させられた事で、改めて思い知らされた。
いつまでも、今のままではいられない。「いつか」は必ず来てしまう。
あの部屋に、三人揃わなくなる日が。
分かっていたはずだった。だからこそ、その「いつか」を少しでも先延ばしにしたくて――
佐伯「――たい?」
「え? あ、ごめんなさい。何か言いましたか?」
佐伯「だから、来年は何がやりたいって訊いたんだよ」
「らい、ねん?」
佐伯「キャンパスライフぐらい、俺が味あわせてやるっつってんのー。何がやりたい?」
「えーっと、もしもし?」
佐伯「てっさん、多分留年すっから、来年もいるぜ? あとマルとトモと、トキヤと俺と……お前と。一緒に何がやりたい?」
「お、思いつきませんよ、そんな事急に言われても――」
佐伯「本物のバニーガールにでもなるか?」
「お断りですよ! 仕事じゃあるまいし!」
佐伯「ハハッ! じゃ、何やるか考えとけよ。来年までに」
来年までに
大きな頭を、コクリと縦に振る事しか出来なかった。
情けない嗚咽をこらえるのに必死だったから。
頷いた瞬間に零れ落ちた涙が、汗臭い着ぐるみに染み込んでいくのを、狭く薄暗い視界の中、ただただ見つめていた。
「いつか」が来る事ぐらい、分かっていたはずだったのに。
分かっていなかった。何にも、分かってなんかいなかったんだ。
こんなにも、「淋しい」と思うなんて事を。「いやだ」と思ってしまうなんて事を。
分かってなんかいなかった。
分からないままでいたかった。
目の前の大きな着ぐるみが、一体何を考えているのかなんて、いくら考えてみたところで、やっぱり分からなくて。
ただ、彼女の事だから、いつも通り「可愛げのない事」を考えているのだろうなと、そう思った。
先ほどの掠れ声と同様に、気付かない振りをしたけれど。
佐伯(……泣いてんのかな、やっぱ)
頷いたきり、そっぽを向いたままの着ぐるみを見つめる。
いくら凝視してみたところで、中の様子など透けて見えるわけもなく、カズナはガシガシと頭を掻いた。
佐伯(ああ、でも、そっか。今、こいつからも、俺は見えてないのか)
着ぐるみのせいで、極度に狭くなっているその視界。
そーっと隣に立ってみても、やはり彼女は気付かず、明後日の方向を見つめたままだった。
ゆっくりと腰を屈め、その頬に唇を寄せる。
毛むくじゃらな感触に、思わず吹き出しそうになるのを、やっとの思いでこらえた。
そしてそのまま、僅かに顔を歪める。
誰かを想う事が、こんなにも苦しい事だったなんて、今まで知らなかった。
こんな顔をしていても、彼女は気付かない。
どれだけ見つめていたって、彼女は気付かない。
当然だ。自分で、気付かれないように振舞っているのだから。
けれど、だけど――
佐伯「――うりゃあっ!!」
「のわぁ、痛い!? え、なに!? 何で私、今叩かれたの!?」
佐伯「蚊がとまっていましたよ、セニョリータv」
「何て季節はずれな! っていうか、今私着ぐるみの中にいるんですから、刺されませんよね!? 刺されませんよね!?」
佐伯「とっさの事で、そこまで気が回りませんでした」
「ええい、このウッカリさんめぇ!!」
先ほど唇が触れた部分を押さえながら憤慨するの声は、もういつも通りのものだった。
「いつも通り」に戻ったという事にも、やはり気付かない振りをする。
気付かれないように、気付かない振りを重ね、――気付かない彼女に苛立ちが募る。
己の身勝手さと不毛さに、心の中で自嘲した。
それでも、だ。
続けていくしかないのだ。捻くれ者の、彼女の傍にいる為には。
買い出し行くんでしょ? 付き合おうか?
ホントに――……。ううん、大丈夫
距離を保つ事で守ろうとしている「今」を、大切に想っているのは、何も彼女だけではないのだから。
それを伝えられる日は、きっと、ずっと、来ないだろうけれど
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